#8 木戸孝太郎さん

 


何十年先も ずっとここにある。 そんな存在でありたい


 

その面積は畑全体で約9ヘクタール、甲子園球場2つ分もあるという、杉ヶ沢高原の大根畑。現在はこの広大な大根畑で、7軒の農家が轟大根を栽培している。

その面積は畑全体で約9ヘクタール、甲子園球場2つ分もあるという、杉ヶ沢高原の大根畑。現在はこの広大な大根畑で、7軒の農家が轟大根を栽培している。

杉ケ沢高原の気候と土が 美味しい轟大根を育む。

「真っ白な大根が千本近く並ぶ、その姿は、ただただ爽快でした」。

初めて見た収穫の風景をそう語る、轟大根生産組合・組合長の木戸孝太郎さん。13年前、大阪からこの地にやってきた。木戸さんたちがつくる轟大根は、氷ノ山の東尾根に位置する標高750メートルの杉ケ沢高原で栽培されている。出荷は7月上旬〜11月中旬までの約100日。早朝4時から収穫し、1本1本水洗いされ、その日のうちに出荷する。高原の冷涼な気候を利用して栽培される大根は、きめ細かく柔らかい。

「前の組合長曰く〝ここは大根栽培の適地。天からの授かり物だ〟と。ぼくもそう思います」。さらに土壌も良い。普通は深く掘ると固い盤のような土が出てきて、石があったり、違う層になっていたりするが、ここは同じ状態が奥深くまで続いている。だから根菜類はまっすぐ伸びやすい。「雨が降ったらどんな土でも柔らかくなりますが、晴れた時にきゅっと締まる土だと凸凹ができてしまう。ここのように粒子が適度に細かいと、大根のきめも細かくなるんです」。

 

轟大根生産組合のメンバーとは仲も良く、住まいも近いため、村の行事も一緒におこなっている。これは2010年の「畜産基地事業20年 補還完遂記念」の時のもの。

轟大根生産組合のメンバーとは仲も良く、住まいも近いため、村の行事も一緒におこなっている。これは2010年の「畜産基地事業20年 補還完遂記念」の時のもの。

未経験から農業の世界に。 しゃべるより動け。

いつの頃からか、農業への憧れを抱くようになったという木戸さん。「身体を動かす仕事がしたかったのと、外で働きたかった」。だがその難しさを説く周囲の言葉に負けて、一度は農業分野の企業に就職。しかし営業で農家を回っていくうちに、未経験からこの世界に飛び込み頑張っている人々に出会い、再び農業への想いがわき上がってきた。縁あって養父に移り住み、農業の知識はこちらに来てから勉強したという。

最初は本の通りやってみるが、農業は自然を相手にした知恵比べ。そんなやり方は通用しない。「先輩の真似をして、身体を使って理解する方が失敗は少ない。考えたり、しゃべっているより、まず身体を動かせ、という感じですね」。大根づくりに関しては、苦労だと思わない。毎年新しい発見もある。最近の発見は、大根を植えつける間隔。数センチ変わるだけで成長速度が違ってくる。「気温や気候に合わせて、幅を狭めたり広げたり。自分で考えて、自由にできるから面白いんです」。

 

一時のブームとかじゃなくずっと普通にある、 そんな存在がいい。

「養父は自然が本当に豊かで、知り合いもいっぱいできたんで、今ではかけがえのない場所。子どもは4人ともこの地で生まれ、のびのび育ってますし」。

「轟大根」高原の冷涼な気候は、きめ細かく、みずみずしい品質に優れた大根の生産に、もっとも適した条件。品質の良さは、市場においても、つねに好評を得ている。現在、出荷の最盛期。

「轟大根」高原の冷涼な気候は、きめ細かく、みずみずしい品質に優れた大根の生産に、もっとも適した条件。品質の良さは、市場においても、つねに好評を得ている。現在、出荷の最盛期。

子どもも将来農業をやりたいと言っている、と顔をほころばせる。「何が一番良かったかって、子育てしながら働けること。朝昼晩のご飯を家族で一緒に食べられるのは本当に幸せです」。

〝やぶの太鼓判〟としてブランド認定され注目も集まるが、木戸さんにとっての轟大根は「ブーム的な売り方で勝負するのではなく、いつでも変わらずここにある、そんな存在でありたい」と語る。気負うことなく、マイペースに農業を生活の糧とするその姿からは、自然とともに生きる人らしい潔さを感じる。

「10年、20年と続けて〝まだこの組合あるの〟と言われるぐらいになるのが、自分にとってのゴールかな」。(2014年8月発行 YABUiRO Vol.4掲載)

 


people08_info

轟大根生産組合
1969年、生産戸数21戸、作付面積3ヘクタールで発足した轟大根生産組合は、夏大根の主力産地として歩みはじめ、80年に国の指定産地を受け、地域の農業生産の先頭に立ち順調に活動を進めている。

_

兵庫県養父市轟地区

 

こちらの記事もオススメです