地域再生の「夢」を 乗せて走る 懐かしの一円電車
但馬の山あいの町に繁栄をもたらした鉱山の発展
養父市大屋町明延で開催されている『一円電車まつり』は、今年で8回目を迎えた。かつて明延鉱山従業員の通勤用として運行していた小さな電車〝くろがね号〟が、70mの手づくり線路をガタンゴトンとゆっくり走る。レトロなカラーで彩られた車体は当時のまま。とてもノスタルジックだ。
明延鉱山は日本一の鉱量を誇るスズ鉱山で、天平年間に開かれたとされ、奈良・東大寺の大仏鋳造に明延産の銅が献上されたという言い伝えもある。飛躍的に発展したのは1909年にスズ鉱が発見されてからだ。鉱山から神子畑にある選鉱場まで輸送用ロープウェイが設置され、29年に明神電車として鉄道が開業。45年からは従業員や住民を運ぶようになった。料金の1円は乗客数を把握するため会社が設けた超格安の運賃で、住民からは「一円電車」と親しまれた。
「最盛期には鉱山関係の人口が4000人、通りには飲食店などが並び、劇場兼映画館には芸能人が訪れてショーをするほどの規模を誇っていました」。「NPO法人 一円電車 あけのべ」の藤尾さんは、当時を振り返る。役場時代に記録係として参加した、閉山の日の映像を眺めながら、ぽつりと語った。「一円電車は生活の一部でした」。
「明延鉱山は日本の屋台骨を背負い、支えてきた産業遺産。1260年の長い歴史を持つ鉱山は、後世に残すべきだ」。同NPOは、そんな想いから立ち上げられた。「遺産として次の世代に繋ぐことが、ぼくたちが今やるべきことだと考えました」。70年代前半に国内のほとんどの鉱山が閉山する中、明延鉱山は1987年まで続いた。「レールまで生々しく残っている。産業遺産の多くは施設の一部や資料を保存した〝ハコモノ〟ですが、ここは本物の坑道。タイムスリップしたのと一緒。だからこそ守り伝えていかねばならないんです」。そしてNPOには鉱山を産業遺産として残すという側面と同時に、地域の自立という側面も担っていた。
閉山から20年の時を経て“一円電車”いざ復活!
明延の人口は現在85人。高齢化率も高い。そんな超限界集落が地域再生に向けて描いた夢、それが閉山とともに廃線となった、一円電車の復活だった。07年に経済産業省が近代化産業遺産認定遺産リストに「明神電車と蓄電池機関車」を挙げたこともあり、「閉山から20年、一円電車に有終の美を飾らせてやろうと、8年前に開催された祭りで、電車を走らせる計画を立てました」。これには全国の鉄道ファンから想像を超える反響があった。その声に勇気づけられ、寄付金を募って常設軌道を敷き、機関車を購入して本格的な復活も果たした。現在は走行も月1回の定期運転となり、恒例となった祭りには今も全国から2000人近くの人が集まる。「将来的にはこの軌道を1kmまで延ばし、少しでも昔の雰囲気を味わえる形で走らせたい。それが地域の活性化にもつながると信じています」。
(2014年12月発行 YABUiRO Vol.5掲載)
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一円電車「くろがね」 NPO法人 一円電車 あけのべ |