#19 小田垣 縁さん

豚はとてもデリケートな生き物。人がストレス抱えていると豚にも伝わるという。「豚の表情が大手傘下で飼っていた頃とは全然違うんです」

冷涼な気候と静かな環境で
手塩にかけて飼育する

八鹿町三谷の山奥にその豚舎はあった。深い緑に包まれた豊かな自然、冷涼な気候と騒音もなく静寂な住処。ストレスを減らすために1箇所あたりの飼育頭数を減らすとともに、きれい好きの豚のために頻繁に清掃と消毒をし、夏には換気やシャワーミストで豚の体温上昇をコントロール。ここで育てられているのが、良質な脂が甘くて香ばしく、柔らかい肉質が特徴の「おだがきさん家の八鹿豚」だ。

祖父母の代から続く養豚農家を継いだ小田垣縁さんは農業高校3年生のときには日本学校農業クラブ全国大会で「八鹿豚にかける我が家〜三世代にわたる養豚経営〜」を発表し、農林水産大臣賞を受けた。その後も家業を手伝うべく東京農大短期大学部に進学し、卒業と同時にUターンした。しかし大学から戻ってみると、実家は大変な窮地に立たされていた。

 

逆境で負けず嫌いに火がついた。
「何があっても絶対にやめない」

祖父が組合長を務め、1978年に7農家で「農事組合法人八鹿畜産 養豚部」を発足。順調に進んでいたがバブルの好景気が終わりを告げると、豚肉の価格下落や飼料価格の高騰などにより経営が悪化、養豚を辞める農家が相次ぎ、5年前には小田垣家を残すのみに。さらに家族を苦しめたのは大手商社との契約。毎日休むことなく働いても少額の給料しか支払われないという非情なものだった。

八方塞がりのなか、それでも縁さんは外に向かって動きはじめる。祖父の代から守ってきた養豚業。両親の生きがいであるこの仕事を第三者に潰されたくなかった。「何もせずに廃業するなら自分たちで後悔しないところまでやってみよう」。そう決意すると商工会などに相談。徐々に地元とのつながりが生まれると、応援してくれる人も出てきた。ある会社のオーナーは八鹿豚をメインにしたレストランをつくってくれた。「商社との契約に縛られていたときは自由がきかず、本当に本当に辛かった。でも苦しい時に相談できる人ができたのは大きくて。家族だけで悩んでいた頃とは雲泥の差です」。ある人が言った「人が3年かかることを1年でやるつもりで頑張れ!」という言葉は、今も心にしかと刻まれている。

 

小田垣さんファミリー。「苦しい時も祖父が立ち上げ、父と母が守ってきたこの八鹿豚という名をこのまま終わらせたくない。やれるだけやろうという想いで走ってきました」。そうして家業を守るために東奔西走する縁さんの姿を見て、家族の絆も深まったという。

出合いとツナガリを大切に
こだわりのブランド豚を育てる

4年前の秋には、事業を管理していた商社との契約を切り、「自分たちの手でこだわりのブランド豚を育てていこう」と家族の心はひとつになった。その後は餌の見直しからおこない、ブランド戦略として地元との連携を考える。

「洋菓子店『カタシマ』からケーキクラムを分けて頂き、仕上げの餌には酵素を加えることで、遊離アミノ酸含有量が増え、従来の豚肉に比べ旨味成分であるグルタミン酸が、驚くことに100倍以上になりました」。たっぷり愛情を受けて育った豚肉は脂が甘くて香ばしいと、但馬の精肉店や卸業者が扱ってくれるようになり、「やぶの太鼓判」にも選ばれた。

「今後はまず安定供給。そしていつか自分たちで加工して、販売までできるようになれば」。尊敬する人は祖父と語る縁さん。山を切り拓き、事業を起こした祖父のように夢はまだまだ広がる。


 

八鹿畜産 養豚部

1978年に養豚農家と養鶏農家が集まり、祖父 小田垣恂二氏を組合長として養豚場を開始。
2012年には小田垣家一軒となるも、
翌年には『おだがきさん家の八鹿豚』を立ち上げ、売上を伸ばす。
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養父市八鹿町宿南2543-62
TEL 079-660-1306
http://odagaki-youkabuta.com/

※特に豚は病気などのストレスに弱いため、防疫対策として農場敷地内の見学はお断りさせていただいております。

 

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